Fui-Duleのヒストリー
- 啓生 裾分
- 5月10日
- 読了時間: 1分
私は、東京の看護学校を卒業し病院勤務を得て、
生まれ故郷である、与論島に帰ってきました。

それからしばらく老人ホームで働き、その後結婚を機に退職。
医療や介護の場を離れ子育てに専念....!!!
...しようと思ったところに、義父が老人保健施設を開設!

その頃、島には老人保健施設はなく、介護保険がスタートした時期です。
それから仕事から離れることはなく、
看護とケアマネージャーのお仕事を兼務して21年...。
毎日お世話している方々から出る口癖は、
「家に帰りたい・・・」

ケアプランを立てながら、在宅サービスの少なかったこの島では、「在宅復帰」は皆無・・
目的を失った私は看護することもケアプランを計画することにも
疲れ果てていました。

でも・・・
「家に帰りたい」と云われた入所者の訴えがずぅーーーーーーーーーっと
心に残り・・・
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「そうだ...帰れる場所があればいい!!」
「なければ作ってしまおう!!」
50過ぎのおばちゃんが動き出しました。
そして、「小規模多機能ホーム フゥイ・ドゥール」が
完成してしまったんです...!!!!
「フゥイ・ドゥール」
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「居場所」 与論の島ことば!
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